吉田調書を読んでみた(4)
修正 | <福島原発事故> |
私たちは普段、何かをしようとするとき、前提になっていることを
意識することができない。
意識することができないからこそ、「前提」と呼ばれ、「前提」
として扱われる。
たとえば電気。
日本には停電がほとんどない。
停電が起これば、ニュースとして流れる。
3.11の福島では、あって当然の電気が無かった。
外部電源が落ち、非常用電源が起動した。
そして津波で非常用電源も落ちた。
建物の中は真っ暗である。
電池式の非常灯もいずれ消える。
エレベータは動かない。
空調も動かない。
パソコンも動かないし、携帯も電話もつながらない。
充電もできない。
原発設備のほぼすべてが電気で動いており、
水位計などのメーター類も電気がないと動かない。
バルブの開け閉めも電気で行う。
冷却水の汲み上げも電気で行う。
電気がなければ、玄関のドアも自動では開かない。
そんな中での作業であった。
このことを、テレビ電話でモニタしていた東電幹部ですら
認識しきれていなかった。
官邸もそうである。
現場のことを理解できていなかった。
結局のところ、すべてを現場でやるよりほかなかった。
東電本店も官邸も、事故対応という点でみれば、たんなる
傍観者にならざるを得ない、そういう状況であった。
現場は、このほかにも障害があった。
余震がたびたび襲ってきたので、そのたびに作業員の退避を
余儀なくされた。
余震による第2の津波被害もありえた。
最初の津波によって敷地内には残骸が散乱していたし、
水浸しであった。
炉心溶融により、建屋の放射線量が増えて、近寄ることも
困難になった。
その後、水素爆発により瓦礫が吹き飛び、散乱し、強い
放射線を撒き散らすようになった。
この爆発の衝撃で、苦労して作った注水ラインが
使えなくなってしまった。
こんななかで、炉を安定化させるための作業を黙々と
行っていたのである。
「注水しろ、なぜできないんだ」
そう言われたところで、やろうとして何時間も悪戦苦闘
していて、結果としてできないんだ、ということが、
なぜ分からないんだ!
というところであろう。
ホースをつないで蛇口をひねる。
そうすれば水は入る。
そういう観念で生きてきた人には理解できないのである。
そのことを非難しようとも思わない。
誰でもそうだからだ。
多かれ少なかれ、人間誰しもそういう部分はあるし、
無くすこともできないだろう。
判断は現場に任せ、あとはバックアップに徹する。
これは、マニュアルに書かれていない事象が発生したときの
「マニュアル」と言えるのかもしれない。
「どうにかしよう」としてどうにかなるような状況ではなかった。
しかしそれでもあきらめずに作業を続けていたからこそ、
きまぐれのような奇跡が起きたときに、そのチャンスを
逃すことがなかった。
いま、私たちが普段どおりに生活できているのは、
このとき福島第1原発で奮闘していた作業員のおかげで
あることは確かである。
そのことにもう一度あらためて感謝しておきたい。